思いのままに

暦に導かれ毎日を豊かに過ごしたい

今日は八朔(はっさく)です。

こんにちは、まめ助です。

 

今日は八朔です。

八朔は二百十日や二百二十日と共に農家の三大厄日とされる日です。

暦上では節目の日の一つで別名「田の実の節句」とも言い田の神様に豊作祈願をします。

 

この頃は稲穂が実り始め収穫を待つ時期なのですが台風などの風の被害が多くなる頃でもあります。

そのため神様にお供え物や奉納踊りなどをして無事に作物が実ることを祈願します。現在は八朔祭という行う所もありますが風の被害を受けないように祈るため風祭と呼ぶ所もあります。

  

八朔の由来

八朔とは旧暦の8月1日のことです。

8月1日を漢字で書くと八月朔日、これを短縮すると「八朔」となり、これが名の由来だと言われます。

 

旧暦の8月1日ですので新暦では、その年によって8月25日から9月23日ごろまでの間を動きます。

 

歴史

元々は農家の行事でしたがそれが商家、武家、公家と伝わっていくうちに形を変えていきました。

 

元々は農家の行事

その年に取り入れた稲穂などを主家や知人などに贈って祝う行事で同時に田の神さまに米(田の実)の豊作祈願をして先に祝いしました。

 

商家に伝わる

上下関係なく贈り物をし合う習慣となり田の実の節・田実の祝いと呼ばれました。

 

武家や公家に伝わる

日頃お世話になっている人にその恩を感謝する意味で贈り物をするようになりました。

 

武家

田の実を頼みにかけて君臣相頼むの意から主従関係の相手や庇護者への贈答の習慣となりました。

室町幕府では公式の行事として採用されています。当時の関東地方の出先機関である鎌倉府でも8月1日に八朔の儀式が行われて関東の諸大名や寺社から鎌倉公方に贈物が献上され鎌倉公方からも献上者に御礼品が下賜されました。

 

戦国時代

室町幕府の流儀を知る北条氏や宇都宮氏では八朔の関する記録が残っています。他にもあるかもしれません。

 

 

江戸時代

徳川家康が江戸城に入場したのが8月1日だったため八朔が重要な儀式の日となりました。また幕府は天皇に馬を献上し家臣は登城して将軍に品物を献上していました。

 

農家では八朔の苦餅といってボタモチを食べて祝い町家では赤飯を炊いて祝いました。

 

f:id:mamesukeing:20170702140257j:plain

 

明治以降

新暦8月1日や月遅れで9月1日に行われるようになりました。

 

現在では、各地で八朔祭が行われ、京都の五花街では芸妓さん舞妓さんが正装(黒紋付を着て髪を奴島田に結う)をしてお世話になっている芸事の師匠やお茶屋に挨拶回りをします。

 

 

八朔はお歳暮やお中元に代わってしまい、ほぼ忘れられた風習となっていますが感謝の意を贈る日本人らしい風習です。

ささやかに受け継いでいけたら良いなと思います。

 

ただ、そう言ってしまい大イベント化してしまうと興ざめですので、「ささやかに気持ちがある所だけに」落ち着きたいですね。

 

台風が続々と発生しています。

来るな来るなと思っていますが、こればかりはね☯

少しでも被害が少なく、農家の方の苦労が報われる収穫になることを祈りたいです。

 

 

では、またです。