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送り火が終わり六道を想う

 こんにちは、まめ助です。

8月16日夜は新暦盆の送り火でした。それにちなんだ行事が色々行われましたね。一般的に送り火は盆の翌日に行われ冥府(死後の世界)に帰る精霊を火を灯して送ります。 

これにてお盆行事はおしまいです。

五山の送り火

説明するまでもないのですね。京都の夜に文字または形の5つの火が浮かび上がることは全国的に有名です。

 送り火はこの五つです。

  • 東山如意ヶ嶽のの文字(大文字)
  • 松ヶ崎西山・東山の妙・法の文字
  • 西賀茂船山の船形
  • 金閣寺付近大北山(大文字山)のの文字(左大文字)
  • 嵯峨仙翁寺山(万灯籠山・曼荼羅山)の鳥居形

  

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山鹿灯籠祭

熊本県山鹿市で行われるお祭りです。

1000人灯篭踊りとも言われます。民謡「よへほ節」のメロディーにのって、浴衣姿の女性が頭の上に置いた灯篭を乗せて舞うのですが、その灯篭が暗闇の中を揺れて動く様子がとても幻想的です。近くで見るより遠目にみるのが好きです。

yamaga-tanbou.jp

 

由来

景行天皇が菊池川を逆上って上陸されようとした(現在の山鹿大橋付近と言われる)時に霧が立ちこめたので里人たちがかがり火を持ち天皇ご一行を案内したこと、行在所跡の大宮神社に天皇を祀って毎年灯火を献上するようになったことに由来するお祭りです。

 

景行天皇の伝説

景行天皇は第12代天皇です。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父です、といった方がピントくる方が多いかもしれませんね。

景行天皇は九州巡幸をしたことが日本書紀や風土記に記載され熊本県の各地に伝説を残しています。しかし、九州巡幸は古事記には記載がないという不思議があります。

宇土半島の御興来海岸

あまりの美しさに輿を止めたことに由来します。

今でも日本の渚百選、日本の夕日百選に選定されている場所です。干潮時に干潟に沈む夕日を撮ろうとその時期にカメラマニアが大勢訪れる場所です。

 八代の水島

夜の海上で天皇を導いた不知火、天皇が祈ると水が湧いたということに由来します。

 御船町

九州征西の時にこの地に船を着けたことに由来します。

 

などなどたくさんあります。景行天皇のお話はあちらこちらで聞きます。こんなに根強く話が残っているっていうのがとても不思議。

 

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送り火が終わるといつもご先祖様方は何処に帰られたのだろうと思います。

ちなみに精霊をお迎えする行事は六道参りが有名ですね。これも京都で行われています。六道珍皇寺と千本ゑんま堂の二カ所で毎年行われている行事ですが千本ゑんま堂では精霊迎えと呼ばれます。

六道

「りくどう」とも「ろくどう」とも読み、天道・人間道・修羅道・地獄道・餓鬼道・畜生道の6つの苦しみ迷いの世界を遠い過去から今日まで生まれ変わりを続けてきたと説かれる仏教の思想です。

六道輪廻はこの六つの世界を輪廻し続けて行くと説かれます。つまり苦しみと迷いを繰り返していくのですが六道輪廻なのです。  

六道は全て迷いの世界です。

天道、人間道、修羅道の「三善道」と畜生道、餓鬼道、地獄道の「三悪道」があります。修羅を悪道に含み四悪道と呼ばれる場合もあります。 それぞれの世界の名を見てその世界がどんなものなのか大方察する所があると思いますが六道で一番怖いなぁと思うのが一番良い世界のはずの天道も迷いの世界であること、そして楽しい時間を過ごした分、死ぬ時に地獄以上の苦しみを受けるとされることです。どの世界もずっと幸せなことはないのです。 六道の繰り返しで人は高みに行けるのでしょうか。

この輪廻から解放されるには解脱しかないと説かれます。解脱することこそが仏教の目的で解脱すると極楽に行けるそうです。

そして、この解脱するチャンスは人間界だけなのです。何故なら仏教の教えを受けられるから、というのが仏教の教えです。

ただ、仏教を聞いたからそれだけで解脱できるわけではないのは当然のことです。なので教えを受け修行をするのですね。域うことそのものが修行とも言われます。人間界を生きることで解脱するということなのでしょうか。

 

解脱とは、

煩悩による繋縛から解き放たれて、全ての執着を離れること

だそうです。

 

 『煩悩を捨てる』

一言で言えば簡単ですが難しいです。肉親への情も煩悩ですから。

 

そして『執着を失くす』も難しい。

「執着を失くしたい失くしたい」と思いすぎることそれ自体も執着なのだそうです。例えばミニマリスト目指して物への執着を失くそうとしても目指そうという想いは執着なのかもしれません。

 執着せずに執着をなくす、難しいです。

 

私は死んだらどの世界に行くのだろう、一度死んでもおかしくないことがあってからお盆に送り火をするとよく頭に浮かびます。と言ってもそう深刻には考えていませんが。

毎年考えていると自分が生きてきた結果なので何処に行っても仕方ないと思うようになり、それでも少しでも良い方向へ向かえるように努めたいと思うようになりました。

 

みなさんはどうでしょうか。解脱へ向かえそうですか?

 

まめ助は難しくて頭がショートしましたのでボチボチ生きます。

 

では、またです。